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2013年3月 8日 (金)

「ゆとり教育」の責任論と法科大学院制度

知識偏重の詰め込み教育に対する批判を背景に導入された「ゆとり教育」は、生徒の学力低下が指摘されるに至り約10年で終焉を迎えた、とされているようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%86%E3%81%A8%E3%82%8A%E6%95%99%E8%82%B2

「ゆとり教育」の公式な総括は見当たりませんし、私個人も成功か失敗かを評価できるほどの情報や知見を持ち合わせていませんが、世間一般では「失敗だった」というのが大方の見方のようです。

「失敗」だとすれば、その責任者は誰なのか。

そう思ってグーグル検索で「ゆとり教育」のあとに「せ」で始まる単語を入力しようとしたら、「ゆとり教育 戦犯」「ゆとり教育 責任」というフレーズがサジェストされました。

検索結果を見てみると、失敗の責任者として、官僚、学者、教育系団体など、いろんな名前がネットに上がっているのが分かります。
ただ、総括がなされていないせいか、失敗と責任を自認する関係者の言及は見当たりませんでした。

一方、約10年前にスタートした法科大学院制度も、その行く末は「ゆとり教育」と同じ途をたどると個人的には思っています。ただ、法科大学院の方はソフト面のみならず、ハコ物などハード面も新たに整備したことが撤廃をより難しくしています。
また「ゆとり教育」と同様に将来、制度が(事実上)廃止されても、総括はきっと行われないでしょう。
もっとも、既に多くの人が検証を試みている結果、「戦犯」としてネット上に永久に名前が残る人が出てくるのは間違いないと思います。その中には制度を主導した学者、法曹関係者のみならず、制度を支えた官僚も含まれる可能性があります。

グーグル検索で「法科大学院 責任」「法科大学院 戦犯」とサジェストされる日は近いかもしれません。

ところで「ゆとり教育」の「戦犯」として真っ先に挙げられている元文部官僚が回顧録を書いていて、その本の内容として下記URLのページでは次のように紹介されています。
http://www.hmv.co.jp/artist_%E5%AF%BA%E8%84%87%E7%A0%94_000000000289875/item_%E3%81%95%E3%82%89%E3%81%B0%E3%82%86%E3%81%A8%E3%82%8A%E6%95%99%E8%82%B2-%E5%AD%A6%E5%8A%9B%E5%B4%A9%E5%A3%8A%E3%81%AE%E3%80%8C%E6%88%A6%E7%8A%AF%E3%80%8D%E3%81%A8%E5%91%BC%E3%81%B0%E3%82%8C%E3%81%A6-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9_3110269

ゆとり教育は、精神としては間違っていなかった。しかし、日本人は、再び「画一・詰め込み教育」に戻ろうとしている。文部科学省で「ゆとり教育」の提唱者となり、その政策を推し進めた著者の回顧録。」

LS制度に関しても、いずれ誰かが同じような回顧録を書くかもしれません。内容の紹介文はたぶん、上記の青字の部分を変えて以下のようにするだけで十分です(「○○」の部分はいろんなバリエーションあり)。

法科大学院制度は、理念としては間違っていなかった。しかし、日本人は、再び「受験技術優先の予備校教育」に戻ろうとしている。○○で「法科大学院」の提唱者となり、その政策を推し進めた著者の回顧録。」

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司法制度」カテゴリの記事

コメント

「ゆとり教育は、精神としては間違っていなかった。」
この言葉で、続きを読む前に、
「法科大学院制度は、理念としては間違っていなかった。」
のフレーズが頭に浮かんでしまいました。

「現実がどうであれ理想さえ高く掲げていればいいという」連中は、夢の中だけでやってほしいですね。
人生を賭けて何かをやろうとするのは構いませんが、それが他人の人生であってはならないのは自明なのに。

国とロースクールを推進してきた方々に対しては、そのような責任をあいまいにさせないため、 市民運動と裁判を通じて厳しく責任追及をする必要があります。
今福島県の方でも、東電と国は責任をあいまいにしたまま、原発を再稼働させようとしており、ロースクール問題と通じる所があります。
結局同じことが形を変えて、別の所で繰り返されているのです。
私は、そのような責任逃れを許すべきではないと思います。 私の方で、いわき金曜行動参加者や労働組合関係者にロースクール問題を話して、市民運動として広げる運動をしています。
記者会見でも話しています。
相手は、国とロースクール推進派という利権団体が相手であり、おそらく私の人生を費やした長い闘いになるかと思いますが、頑張っていきたいと思います。

甲南ロー出身さま


あまり世の不条理を全部背負いこむようなことをしないで,どうか,自分のできる範囲を見定めて行動していただきたい。全部今やろうとしたらダメだ。世の不条理なんか無数にあるから。貴職の闘いは果てしなく長い,それは間違いないから。

休業中Bさん、ありがとうございます。
大丈夫ですよ。
私には、心強い仲間達がいますので。
仲間達と力を合わせて頑張りますので。 ご心配ありがとうございます。

>「現実がどうであれ理想さえ高く掲げていればいいという」連中は、夢の中だけでやってほしいですね。
人生を賭けて何かをやろうとするのは構いませんが、それが他人の人生であってはならないのは自明なのに。

同感です。
教育者、教育行政官として自らが思い描く理想の教育システムを実践したい、と思う気持ちは分からないでもないです。でも、実践するならできるだけ他人を巻き込まずに自己完結でやってもらいたい。別に司法試験と絡めなくたって井上氏や鎌田氏が東大や早稲田で勝手に法科大学院を作って理論と実務を架橋すればいいのです。もし法科大学院が真に理想的な法教育・法曹養成のプロセスであれば、受験資格要件なんかにしなくたって自ずと学生がわんさか集まり、司法試験に合格した修了生はもちろん、合格できなかった修了生も官庁、大手事務所、大手企業から引く手あまたの大騒ぎになるはずです。でも実際の教育内容はそんな立派なもんじゃないので、受験資格要件という「箔付け」をしないと人が集まらない。結果として学者と官僚の自己満足に大勢の受験生が巻き込まれ、人によっては人生を左右されているのがこの制度です。

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