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2013年8月 2日 (金)

給費制廃止違憲訴訟提訴に思うこと

元司法修習生ら「給費制廃止は違憲」 国賠求め地裁に提訴(日経)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0200Q_S3A800C1CR0000/

 司法修習生の給与を国が支払う給費制を廃止し、貸与制にしたのは違憲で無効として、元修習生らが2日、1人当たり1万円の国家賠償を求めて名古屋、東京の両地裁に提訴した。広島、福岡の各地裁にも同日中に提訴予定で、「経済的事情で断念した人もおり、給費制の廃止は不合理だ」と訴えている。

提訴については世論喚起の期待とともに懸念も指摘されています。
司法修習生の給費制廃止違憲訴訟に対する期待と懸念(Schulze BLOG)
http://blog.livedoor.jp/schulze/archives/51993931.html

また、法科大学院制度の是非や、あるべき司法試験合格者数に踏み込まないことに対し厳しい批判がなされています。
パブコメの意見公開と違憲訴訟のはなし(黒猫のつぶやき)
http://blog.goo.ne.jp/9605-sak/e/0e3b1a6e9148303ad9aa5ed2a64d615d

私もSchulze先生の懸念の指摘にまったく同感です。
また、私は従前から、法科大学院制度の是非に踏み込まない給費制復活運動は国民への説得力を持たない、と
いう考えですから、黒猫先生の批判はもっともで真摯に受け止めなければならないと思います。

なお、法律構成の点では、とあるSNSで「(貸与制は)立法裁量だろ」とか「無理筋」などと、給費の恩恵を受けてきたはずの先輩法曹から代替案も示されないまま、かなり冷ややかに見られたこともありました。

それでもあえて、理論面を含むこれらの問題に目をつむって「心情」面から今回の訴訟を応援したい、と私は思っています。

給費制の復活に向けては関係者の懸命な努力にもかかわらず市民運動、政治運動ともに行き詰まっており、一縷の望みがつながっていた有識者会議も復活要望を完全にそでにしました。このような閉塞状況の打開策は、もはや司法的解決の途しかないのでは、という思いが一つあります。

しかし、そういう消極的理由だけでなく、心情的に訴訟を応援したいと思わせる源は、原告となった新65期の方々の訴訟にかける思いとか、スタンスです。
ある原告の方は訴訟の動機に関連して「自分の権利侵害に鈍感だと、他人の権利侵害にも鈍感になる」と言って
いました。原告の方々は自分たちが法律家であればこそ、政治では解決できなかった自らの権利侵害を司法の場で解決すべきであり、そうでないと他人を救済することもできない、という強い自覚を持っていらっしゃるように見受けました。

もっとも、それは必ずしも提訴の主眼ではなく、多く耳にしたのは「後輩に自分と同じ苦しみを味あわせたくない」とか「貸与によって充実した修習ができなくなり、ひいては司法が衰退するのを食い止めたい」などという言葉です。彼らの提訴動機の主は、自分のことよりも後輩や司法の行く末の心配にあるように私はみています。

たしかに理論面の問題はあるにせよ、こういう原告団の心意気を買って、陰ながらサポートしたい、と思い立って本日、東京地裁に駆けつけました。
ただ、用事があって時間がぎりぎりになってしまい、家裁側から1階ロビーに入ってさらに端のドアから正面に出た時にはちょうど
、私と入れ違うように宇都宮先生(?)を先頭に横断幕を掲げた原告団が今にも入庁するところでした。
私はそれを玄関前の柱の陰からじっと見守るほかありませんでした。「明子姉ちゃん」のように。
その後も用事が立て込んでいたので、すぐに地裁前を立ち去りました。今後、都合がつけば弁論などに顔を出したいと思います。

※写真は原告団入庁直後の東京地裁前(午前10時半すぎ)

20130802_103458

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司法制度」カテゴリの記事

コメント

法科大学院受験資格要件強制に踏み込まないことへの黒猫先生の批判も私は最もだと思います。

私も貸与制と法科大学院受験資格要件強制はセットの問題だと思います。

しかし、現時点で法科大学院受験資格要件強制についての主張は、主張適格や原告適格の関係で大々的に違憲を争うことができず、陳述書や意見陳述、または関連事実としか主張できない実情はあります。

今はやむを得ないと思います。

私の方は、各地の原発反対運動家や知り合いの議員さんにも提訴や給費制や貸与制の弊害を、宣伝しました。

福島県の原発公害の方が忙しく、なかなか関われていませんが、仕事になれ余力ができましたら必ず合流します。

その時はまたお会いしましょう。

>甲南ロー出身の弁護士さん

素人考えですが、法的観点だけをみれば訴訟において受験資格強制問題を主張しなくても矛盾や齟齬はないと思います。なので私としては訴訟の方はさほど躊躇なく応援できます。

あるところでは昨日も先輩法曹と思われる方々が、代替案や後輩への助言もなく、勝ち目とか立論に関して冷ややかなコメントをしていました。
たしかにプロの法律家ですから、法律構成や提訴の社会的影響への考慮にはシビアなのかもしれません。
でも、純粋に法的観点からおかしい制度をおかしいと主張することは、法律家の原点ではないかと思います。
私は法曹ではないですが、先輩法曹のいろんなコメントは私にはとても意外でした。

昨日は甲南ロー出身の弁護士さんは上京されていないと思っていましたので、お姿を探さずに地裁をあとにしました(いったん庁舎外に出てしまい、あの面倒な手荷物検査を再び受けるのが嫌になったこともあります(^^;))。
また、次の機会にお会いしましょう。

甲南ロー出身の弁護士さんは何かとご多忙とは思いますが、十分に休養を取りながらお体に気を付けてご活躍ください。

心情で裁判をすることが専門家だとは思いません。
そもそも「違憲」にこだわらなくても、裁判は出来たでしょう。
しかし、立法府に改正の義務づけというところにこだわるから、違憲訴訟を選択するのです。
何の根拠もなく。
問題提起をすることなどと言って欲しくないですね。
問題提起だけなら、給費廃止の立法改正の裁量権逸脱だけを問題に出来たと思います。
無理な裁判なんて誰の共感も得られませんし、まあ言っても無駄でしょ。宇都宮健児が団長なのだから。

>通りすがりの弁護士(旧試験)様
コメントありがとうございます。
現時点で訴状の内容が閲覧可能になっていないので、法律構成の詳細が分かりませんが、多く報道されているような平等権侵害だけでなく、多岐にわたる違憲主張を立てていると仄聞しています。
当事者でない部外者の私は主に「心情」から応援していますが、原告は訴訟提起に当たって、勝ち目とか問題提起の効果をある程度見込める根拠を持って法律構成を立てているのではないかと思います。その点は訴状を見ないと何とも言えないところではありますが(もっとも実務家でない私が訴状からきちんと筋を読めるわけではありません)。
なお、先輩法曹の冷ややかな苦言については、苦言の内容が意外だったのではなく、通りすがりの弁護士(旧試験)様が指摘なさったような、提訴するならこうした方が(まだ)良かった、という類いの代替策や助言を伴っていなかったのが、法曹界に籍を置かない私には意外だったのです。法曹界って意外と後輩に冷たいんだなあ、と。ご指摘のような代替策の提案が、私が過去に接した先輩法曹の苦言にも含まれていれば「(やり方は賛成しかねるが)気持ちは分かる」という後進(元修習生)への思いやりがわずかでも部外者に伝わっただろうと思います。

平等権侵害だけでなく多岐にわたる違憲の主張?
下手な鉄砲も数撃てば・・・ということですか?
下手な鉄砲は何発撃っても下手なのです。
あれもこれも言っている分、あーこいつ何も分かってねえぜ、という意味にしかならないのでは?
第一、対案を示さなければ批判するな、という発想自体頭がおかしいのではないでしょうか?
対案を出す義務がどこにあるのですか?私は65期修習生の代理人ではありません。
批判してもらえるだけありがたいでしょ。無視されることこそ存在を否定されているのです。
ところが、対案を出さなければ批判するなというのは、要するに、自分の頭で考えることが出来ないから、他人が何か言ってくれるのを待っているのに、自分達への批判だけでは、便乗できないじゃないか、というだけの話なのでしょう。

給費制廃止違憲訴訟なんぞに興味ありません。共感が得られると思っている彼らは自意識過剰でしかありません。
勝手にしくされ。

>通りすがりさん
先にコメントいただいた「通りすがりの弁護士(旧試験)」さんと同じ方とお見受けしますが、「数」はともかく「下手な鉄砲」かどうか私に問われても困ります。私は「訴状を見ないと何とも言えない」と申し上げています。また、原告の方に言っておられるのであっても、訴状を見る前に「下手な鉄砲」と断定的に捉えることも推測することも、少なくとも私にはできません。
それと、私は「対案を示す義務がある」とか「対案を出さなければ批判するな」などとは、ひと言も申し上げておりません。対案(代替案、助言)もなしに批判だけするのは、後進に対し突き放すような冷たい態度ではないか、そういう風潮は法曹界の部外者から見れば意外だと言っているだけです。なお、一般的に代替案の提示を欠く批判は説得力を欠くといえるのではないかと思います。
あと「他人が何か言ってくれるのを待っているのに、自分達への批判だけでは、便乗できないじゃないか、というだけの話なのでしょう。」という部分は、すいません、意味がよく理解できませんでした。なんとなく理解した、という前提で申し上げれば、別に他人の言説を積極的に待っているなんてことはないでしょう。そもそも「他人が何か言って~」の有無を問題にしているのは原告ではなく、私です。そして問題とする理由は、その有無が法曹界の後輩に対する態度について私が抱く印象と、訴訟批判の説得力の程度について私が抱く印象の双方に関わるからです。
いずれにせよ「給費制廃止違憲訴訟なんぞに興味ありません。~勝手にしくされ。」とまでおっしゃるのであれば、黙って高見の見物をなさっていればよろしいのではないかと思います。

0302さんが本当におっしゃりたいことは、裁判の戦略とか勝ち目のことではないのだと思うのです。対案の提示やアドバイスがない、というのは、訴訟に反対とか無関心なことを問題にしているのではなく、給費制問題に対する立ち位置を指摘しているのではないでしょうか。たとえば「問題提起だけなら、給費廃止の立法改正の裁量権逸脱だけを問題に出来た」という部分は、十分な対案だし、アドバイスでもあると思います。でも、それに対して0302さんは「ご指摘のような代替策の提案が、私が過去に接した先輩法曹の苦言にも含まれていれば「(やり方は賛成しかねるが)気持ちは分かる」という後進(元修習生)への思いやりがわずかでも部外者に伝わっただろう」とおっしゃっているのです。その点への受け止めが通りすがりの弁護士(旧試験)様にはない。
つまり、違憲訴訟に賛成か反対かが問題ではないのです。それは個々人の考え方の問題であって、違憲訴訟を突き放しても構わないと思うのけど、(現に苦しんでいる)修習生をも突き放すのか。修習生を突き放しているように見える、それが先輩法曹として冷たいのではないか、というのが0302さんのお考えではないかなと思うのです。通りすがりの弁護士(旧試験)さんにも給費制に対する思いは当然あるのかもしれませんが、それが言葉に表れていないのですね。そういう心情が少しでもあるのなら、言葉の中に配慮がにじみ出るはずではないか、と。それは私自身も感じている違和感です。

私は給費制を廃止された司法修習生及び弁護士に対する心情を求められても困惑するしかないですね。
人のことに構っている余裕がないのです。
0302氏やschulze氏らが、給費制廃止違憲訴訟にどのような思いをもっているかなど、他人の思想や信条について踏み込むつもりもないですが、なんで、そのような配慮がないのかと言われると、私の人生に関係ないから、人のこと気にしていられるほど生活が裕福ではないから、としか回答しようがないですね。
修習生を突き放すのかと言われると、まず修習生を500人に戻すことに一言も言及せずに、給費制を廃止したことはおかしい、と言っている人間であれば、私は突き放します。

あまり私のコメントで汚してしまうと0302さんに申し訳ないので、ほどほどにしておきますが、今回の話はおよそ弁護士に対して給費制への行動を起こせ、起こさないのは冷たい、という話ではないんですね。「人のことに構っている余裕がない」とか「人のこと気にしていられるほど生活が裕福ではない」ということとは関係ないんです。行動してくれ、という話じゃないから。そうじゃなくて、給費制をどう考えるのか、ということです。今の修習生の状況を見て、どう思っていらっしゃるのか。気の毒だと思うのか、おかしい制度だと思うか。はたまた貸与制でいいじゃないかと思うか。結論は人それぞれですよ。でも、そういう考え方は違憲訴訟への批判に際してもその人のスタンスや配慮が滲み出るものだと思います。0302さんが感じている「冷たさ」とは、そういうところなんでしょう。少なくとも現在の弁護士たちの圧倒的多数は給費制の司法修習で育ってきて、制度に対するそれなりの「思い」はあるはずじゃないか、というのが、外から見ていてもあると思います。それなのに多くの弁護士たちは意外に傍観者なんだね、と。自分がなってしまえば、後輩たちのことは構ってられないんだと。司法修習はこうありたい、こうでなければならないという熱意が見えないまま、批判だけするんだと。それは現実なので仕方ないのですが、そういう感想を抱くことは、何らおかしいことではありません。そして、その感想が違憲訴訟への批判の説得力を判断する際の前提になることも、また事実だと思います。

schulzeさんに私の言葉足らず、説明不足をフォローしていただきました。
m(_ _)m

通りすがりの弁護士(旧試験)さんの最後のコメントから、お考えがよく分かりました。「給費制をどう考えるのか」という点では決して貸与賛成、給費反対というお考えではなく、個人的な状況を含めて現状では訴訟に関心や心情を寄せる条件にない、というお考えとお見受けします。
また、裁判での主張の方法とか、修習生(合格者)を500人に戻すことに言及すべきとの意見も添えていらっしゃる点は、単にダメ出しだけして批判されている方に比べて部外者である私からみた意外感はありません。その意味で私が通りすがりの弁護士(旧試験)さんに特に冷ややかさを感じているわではありません。
給費制自体の賛否等、本質的な部分で意見の対立があるわけではないと思いますので、もしよろしければこの話はこれでお終いにしてもよいのではないかと思います。

>>通りすがりの弁護士(旧試験)

かなり頭がおかしいですね。

>>私の人生に関係ないから、
といいながら,こういうところに書き込んでいる。

>>人のこと気にしていられるほど生活が裕福ではないから、としか回答しようがないですね
生活が裕福ではないのは貴方の努力不足,能力不足。

>>修習生を突き放すのかと言われると、まず修習生を500人に戻すことに一言も言及せずに、給費制を廃止したことはおかしい、と言っている人間であれば、私は突き放します。
と偉そうにしてますが,努力不足・能力不足の貴方に突き放されても痛くもかゆくもありません。

私がレスするのもなんですが、私は通りすがりの弁護士(旧試験)さんの最後のコメントを特に批判的にはみていません。通りすがりの弁護士(旧試験)さんは別に給費制自体に反対ではなく、ただ現状では生活状況とか訴訟での主張内容に足りない部分があることから、訴訟への賛同や関心を寄せる条件にないと、おっしゃっているだけのように思います。何の理由も示さず一刀両断に訴訟を切り捨てる方よりは心あるコメントだと思っています。
訴訟については賛否さまざま議論がありますが、主に問題になっているのは運動論、方法論の考え方の違いであり、給費制に賛成という意見に違いはないように見受けます。いろんな方がブログで意見表明し、提訴という方法自体の議論は出尽くしている感がありますので、少なくとも提訴自体の議論に関する当エントリーでのコメントはこれでお終いにしていただければと思います。
ただ、私はまだ訴状を読んでいませんので、提訴自体ではなく、提訴の具体的内容に関しては、読んだ上で新たなエントリーを立てるかもしれません。その際は提訴の具体的内容について新たな議論を展開していただければ幸いです。
なお、複数のブログで、訴訟を含む給費制復活運動に対し法科大学院制度や適正な合格者数の問題に触れないことに批判的な見方が示されています(この点は私も同意見)。この点については運動体や日弁連として、どう考えているかの表明があってしかるべきではないかと思います。

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