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2015年8月

2015年8月 2日 (日)

「中締め」に当たって4・法曹養成とマスコミ

 安全保障関連法案の合憲性や新国立競技場の巨額建設費問題など、政治・行政の合理性に疑義が生じた時にリベラル系のマスコミは問題に鋭く切り込みました。マスコミの重要な使命が権力のチェックであることからして当然です。

 ところが、法曹養成問題では、法曹志願者の激減、借金を背負う修習生や若手弁護士の経済的困窮といった将来の司法の基盤を揺るがしかねない深刻な問題が発生しているにもかかわらず、マスコミが法曹人口増員政策の合理性に疑念を持たないのはなぜか。

 理由はいろいろ考えられます。法科大学院が新聞広告のスポンサーになっている一面もあろうかと思います。
 しかし、私が思う最大の理由は、マスコミが司法制度改革の旗を振ってきた手前、簡単にその旗を降ろせないという体面もしくは面子の問題です。

 安保法案も新国立競技場建設もマスコミが旗を振って「推進せよ」と言ったわけではありません。だからマスコミが法案の廃案や計画の見直しを求めても過去の論調との不整合は特に生じません。
 ところが、司法制度改革でマスコミは改革を推し進める論陣を張ってきました。特に法科大学院制度と弁護士の増員は改革の柱として強く主張してきたと思います。
 それを今さら「間違っていました」と認めるのはマスコミの沽券にかかわる、という体面の取り繕いが、改革の根本的な失敗を追及できない態度をもたらしているように思います。

 このようにマスコミが振り始めた旗を降ろせない、という状況は過去にもあったように思います。

 太平洋戦争です。
 当時の新聞は戦争の早期終結に無力であったばかりか、国民の戦意高揚に一役買い、結果としてたくさんの若者を死地に送り込むことに手を貸しました。

 現在の法曹養成制度は、有為な人材が法曹を目指してくれないという点で、わが国の司法の基盤を揺るがしかねない恐れを生じさせていると思います。それでもマスコミは過去の自らの論調との整合性にこだわり続け、改革を根本的に見直そうとはしません。そればかりか、若者にそっぽを向かれて撤退が相次いだロー縮小の現状を「少数精鋭」と言い繕ったりもします。かつて大本営が「撤退」を「転進」と言い換えて国民を欺いたのと一体どこが違うのか。戦前の報道への反省が微塵も感じられません。

 私はマスコミの最大の使命は「二度と戦争を起こさせないこと」だと信じてやみません。しかし、法曹養成に関する報道をみると、将来、マスコミは戦争の抑止に何も役に立たないばかりか、むしろ煽り立てるのではないかという危惧すら芽生え、それが確信に変わりつつあります。

最後に4点にわたり長々と駄文を連ねて失礼しました。

では、いったん本ブログを閉じさせていただきます。

「中締め」に当たって3・予備試験は優秀曹の選抜試験ではない

 これまで私は司法試験や司法修習の成績において、ロー卒組より予備試験合格組の方が優位に立っていることをデータで示す作業に力を入れてきました。
 しかし、その意図は予備試験合格者がロー卒組に比べて一般的に優秀だとか質が高いとか、そういうことを言いたかったためではありません。旧司組か新司組か、予備組かロー組か、短期合格組かベテラン合格組か、難関大出身かそうではないか、社会人経験があるかないかを問わず、仕事ができる奴はできるし、できない奴はできない。そういうもんだと思っています。

 私がデータ提示で最も言いたいのは、予備試験が不当に狭き門になっている、という点です。すなわち、予備組の成績が相対的に高いということは、ロー卒者と予備合格者の学力の均衡がとれていないことを意味します。学力の均衡がとれていなければ、法科大学院に通えない人は司法試験受験資格を得るまでのハードルが特に高く設定され、受験機会の公平・平等が失われていることになります。そこで予備組の成績がロー卒組を上回っていることを示すことで予備試験合格者数の増加を訴えたかったわけです。ロー教育の質を問う意図も否定はしませんが、それが主眼ではありません。

 予備試験制度の意義は、経済的時間的地理的な事情から法科大学院に通えない人にも司法試験受験機会を与えて、司法試験の入口レベルでの公平・平等を保とうとする点にあり、それ以上の意味はないと思っています。現実には法科大学院に通えるのに予備試験を利用している人がいるかもしれませんが、所得によって受験を制限することは技術的にほぼ無理なのでやむを得ないことだと思います。なお、事業資金や住宅購入資金の調達とは違い、教育費で借金をするのが通常であるとはいえないでしょうから、奨学金を借りないと法科大学院に通えない人は「経済的事情」があると私は思います。そうだとすると、予備試験の制度趣旨に真っ向から反する予備試験受験生は実はかなり少ないのではないかと思います。

 繰り返しますが、予備試験に、司法試験の入口レベルでの公平・平等を保つこと以上の意味はないと思っています。ですから「実質的な司法試験」などと評して優秀な法曹を選抜する機能を予備試験に見い出すことには賛同できません。ちなみに司法試験短答試験の試験科目が3科目になっても現行司法試験の性質に変わりはないというのが政府見解です。今は予備試験合格者数が絞られている結果として、レベルの高い人ぞろいになっているにすぎません。
 予備試験にこうした選抜機能を認め、予備試験合格者数を増やすべきでないという意見もあるようです。しかし、予備試験合格者数を絞ることで予備試験合格者=優秀層とカテゴライズすることが合理的か、というと、そうは思いません。なぜなら「優秀層」をカテゴライズしたいのであれば、司法試験合格順位の「何百番以上」などというように本試験成績の上位層を括る方が端的ですし、ロー組の優秀層も取り込めるので有意義だからです。もっとも、そのようなカテゴライズにどれほどの意味があるのかは私には分かりません。
 特に旧司法試験合格者や既に予備試験に合格した人から、予備試験合格者数を増やさなくてもよいという意見が出るのは、個人的にはかなり違和感があります。私が自分自身に問いかけている「自分さえうまくいったらそれでいいのか」という思いが頭をよぎってしまうからです。

「中締め」に当たって2・社会人受験生の方へ

 予備試験ルートを狭められている上に、十分な勉強時間を確保できる現役学生とガチンコ勝負しなければならない社会人受験生。そんな茨の道に果敢に挑む高い志に心から敬意を表します。

 学生と比べて勉強時間等のハンディはあっても能力に差はないと思います。それでも社会人が予備試験で苦戦している原因の大半は方法論にあると私は思います。

 受験生の最終目標は最終合格ですが、実は山の頂上のように不動ではありません。問われていることや配点などは毎年変化していて勉強の仕方も変化に合わせる必要があります。
 現役学生の方々は大学や予備校に受験仲間がいて最新の試験の傾向を把握しやすい環境にあります。
 一方、社会人受験生は数が少ないし、受験生同士の出会いの場も少ないので同様の環境を得るのはなかなか難しいです。

 それでもなんとか情報交換やゼミなどができる受験仲間を作ることをお勧めします(完全な独習では受からないと言いたいのではなく、仲間と勉強する方が独習より受かりやすいだろうということです)。

 私自身も長らく独習でしたが限界を感じ、一緒に勉強してくれる方を紹介してくれるよう予備校のスタッフにお願いしました。そうしたところ若くて優秀な受験生と知り合うことができ、最終合格までの1年余り、週に1回程度のペースで論文ゼミや口述ゼミを組んでもらいました。このゼミの経験がなければ私は最終合格できなかったと思います。

 特に「ベテラン」と呼ばれる方には、プライドを捨てて、若い受験生や合格者に勉強方法や最新の試験傾向について素直に教えを請うことも考えてほしいと思います。
 私は10年連続で落ちた時、わらにもすがる思いで某予備校の合格祝賀会に場違いにも押しかけ、若い合格者をつかまえて教えを請うたことがあります。自分の息子といってもおかしくない年齢の若者に頭を下げ、迷惑そうにしている相手から何とかアドバイスをもらいました。内心、忸怩たる思いもたしかにありました。しかし、合格者なら当たり前にやっていることを自分がやっていなかったことに気づかされました。そこから最終合格まで数年かかりましたが、あの時のアドバイスがなければ最終合格できなかったでしょう。今でもあの青年には恩人として、とても感謝しています。

 ひらすら勉強を積み重ねれば自然と合格に近づくという時代ではありません。目標は毎年絶えず変化しているので、変化に応じた勉強の方向性を考えないと、最終的に目標をとらえることは難しいということを念頭に置いてほしいと思います。

「中締め」に当たって1・私が現行法曹養成制度に反対している理由

 私が現行法曹養成制度に反対している理由。

 ひと言で言えば「不公平な制度が許せない」という点に尽きます。司法の将来を憂う、という高尚な(?)理由もなきにしもあらずですが、大半はごく私的な心情です。

 やはり、自分が旧司法試験制度という誰もが受験できる公平な制度の恩恵を受けたことが大きく影響しています。公平な旧司で最後にぎりぎり滑り込んだ自分が、法科大学院修了を強制される不公平な制度に対し声を上げずに「黙認」することは「自分さえうまくいったらそれでいいのか」という後ろめさを感じずにはいられませんでした。

 予備試験合格者と法科大学院修了者の司法試験合格率に大きな格差があることからみて、予備試験不合格者の中には司法試験を受験すれば合格するはずの実力者が相当数いるのは間違いないと思われます。その中には法科大学院に通えない人も当然に含まれているでしょう。そのような人たちは法曹になる権利を不当に奪われているといえます。

 しかし、自分がかつてそうだったように、受験生は制度に不満の声を上げる余裕がありません。猫の目のようにコロコロと変わる変わる制度に翻弄されながら学力を身につけることに専念するしかないのです。そこで、ここは受験勉強を卒業した自分が、予備試験受験生に代わって制度の改善に向けて声を上げなくては、という思いに駆られて本ブログを立ち上げました。

 こうした心情は人それぞれでしょうが、給費制について言えば、恩恵を受けた先輩法曹が、後輩のために復活を求める声をもっとたくさん上げてくれたらいいのになあ、と期待はしています。

ここでいったん「中締め」にします

昨夜はschulzeさん呼びかけのオフ会に参加してきました。
和田吉弘先生をお招きして非常に楽しい時間をすごさせていただきました。先生とお会いするのは今回が二度目。現行法曹養成制度批判の鋭い舌鋒と、受験生の立場を第一に考える姿勢に変わりはなく、先生のご意見が反映されていない現状を口惜しく思いました。

ほかに参加していただいた弁護士の方々、若手法曹、修習生、司法試験結果待ちの受験生、予備試験受験生の皆さんも多様なバックグラウンドをお持ちの方々ばかりで大変刺激を受けました。昨夜のオフ会メンバーだけをみれば法曹養成の多様性は十分に実現できているといえるでしょう。

楽しく充実した昨夜のオフ会を経て、気持ちに一区切りつきました。

ちょっと前から考えていたことなんですが、いったんブログを休止します。理由は
・法曹養成の当面の政府方針が決まり、さらなる検討体制が設置されないことから制度の大きな転換が当面見込まれないこと
・これから私事が忙しくなってブログの継続、情報収集が難しくなること
です。

予備試験合格者数と給費制に関しては状況が好転する兆しが見えず、ここでブログを通じた言論活動を閉じるのは後ろ髪を引かれる思いですが、私と思いを同じくする情報発信はいったんschulzeさんにお任せしようと思います

ただ、司法修習生の貸与申請状況主要大法学部志願状況の経年変化はウオッチし続けるつもりで、集めたデータを単発的に公表します。mixiでの予備試験受験生支援はこれまで通り継続します。

最後に言い残しておきたかったことを綴ります。
4点について一気に書いたところ、あまりに長文になったので、エントリーを分けることにしました。
以下、別稿にてエントリーを続けます。

2015年8月 1日 (土)

今も心に響く和田委員意見書

法曹養成制度検討会議第15回(平成25年6月19日開催)提出資料
和田委員意見書「今後に向けての意見」

http://www.moj.go.jp/content/000111847.pdf

 今回のパブリックコメント手続については、形ばかりのものであったとの批判は当然ありうると思う。ただ、この場を借りて、「中間的取りまとめ」の内容に批判的なパブリックコメントを提出された方々に申し上げたいのは、本検討会議が上記の「意見の概要」のような形でのまとめにせざるを得なかったこと自体が一定の意味を持つ、ということである。心ある政治家や、次の検討体制における心あるメンバーは、今回のパブリックコメントの意味を正しく理解するであろうし、また、おそらく、事務局の方々ないし法務省幹部の方々も、「中間的取りまとめ」の内容に対してこれほど多数の批判的な意見が寄せられたことに改めて衝撃を受けているように私には思われる。私は、本検討会議では残念ながら力及ばず、最終的な取りまとめの内容にはほとんど寄与することができないことになりそうであるが、他方で、法曹志願者の激減等という厳しい現実を前にして、抜本的な改革のための歯車は確実に動き始めたようにも感じている。
 今回のパブリックコメント手続には無気力感を感じている方も多いと思う。それも無理からぬこととは思うが、
現実を変えていくためには、できればその無気力感を引きずることなく今後も意見表明の意思を持ち続けてほしい、と切に願う。
 最後に、改めてコメントさせていただければ、良い法曹養成をするためには、良い人材を集めて良い教育をする必要があるが、現在はその2点ともうまくいっていない状態にある。法科大学院の不人気は広がりを見せ、法学部への進学希望者さえも減っているようである。とくに、
法曹志願者の激減という現実は、法科大学院制度を破綻させるのに十分なものであるが、それによって司法を破綻させてはならないのであり、我が国の司法をこそ守るために、法科大学院制度を含めて法曹養成制度を本当に抜本的に見直さなければならないのである。私自身も、これからも謙虚に考えながら、種々の形で引き続き意見を表明していきたいと考えている次第である。

法曹養成制度検討会議で現行制度の見直し向けて孤軍奮闘された和田吉弘先生が、最終盤の会議に提出された意見書です。
内容は会議の他の委員に向けたものというよりは、パブリック・コメントで給費制復活などの意見を寄せたわれわれ市民に向けたメッセージのようでもあります。

それから2年。「次の検討体制における心あるメンバー」は現れませんでした。「歯車」は前に動いている分野もある一方で、後退した分野もあるような。最後の段落に記された当時の現状の指摘と警鐘が現在でも通じるのは、法曹養成の危機的状況が2年前から改善されていないためでしょう。

だからこそ「現実を変えていくためには、できればその無気力感を引きずることなく今後も意見表明の意思を持ち続けてほしい、と切に願う。」という呼びかけが今も心に響きます。

私はこれからも、この呼びかけに応えることができるかな・・・

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